このブログサイトは何故か写真の大きさに
規制が出来、小さい写真しか載せれなくなりました。
近日中に何処かに移転します。明日明後日ごろです。
新しいブログ先はお知らせします。
UPしない理由はそれでした。
ごめんなさい。
待っててね。
二人の芸術家に続け様に会う。
二人に共通するのは、その作品のすべてを
鉄とコンクリートで作っている事だ。
石も木もティンバーも怪獣も何もかも
鉄とコンクリートであった。
市場が先に有るのではなくて、まず作品が
そこにある。
そんな危険な道にあえて、命を賭けてみる。
内面はだらだらと血を流して
いるだろうが、生きていると言うスリルを
味わっている為、どこか爽やかだ。
孤独でありながら、充足している。
自分と対話し、その本性を暴こうと命を削る者に
出会う時、重要な事はひとつかふたつである事に
気が付かされる。
難解である事を表明しない限り、この種の輩たち
は心を開いてはくれまい。
そう、理解されたくない訳だ。
自分の中のもう一人の自分だけに納得させたい。。
つまりズタズタに傷ついているのだ。
もう少し、もう1週間下さい。
認めさせたいとか、認めさせたく無いとか
では無いな。。。
認めささないだな、きっと。
岡本かの子は息子太郎が風邪で寝込んだ際に
看病をせず、創作活動に没頭する。
三日後、少年太郎は母かの子にその非難をぶつける
が、かの子はあっさりと「だって、病気で汚い太郎
なんか見たくないんですもの。。」と告げる。
それを聞いた太郎はその母を何と美しい人だろうと
感じるのである。
こんな無条件な「愛」が世の中に存在するのだろう。
こんな純粋な「美」がきっと何処かにあるのだろう。
私のデスクのカレンダーは8月のままであった。
8月から私は生きていない。
ボルテージが上がる頃は、2ヶ月先いや3ヶ月先の
カレンダーであるのだが、今は石となり岩礁となり
その先が見えないのは波の高さだと思い込んでいる。
私の信じた「美」と言うものがひどく気になる。
私が美しいと感じるものが、極端にズレているのでは
無いかと不安に襲われる。
バンクーバーのSOHOとも言えるYale Townに出掛け
「自分の美は間違ってはいないのだ」と言う薄らとした
破片でも良いから見つけられ無いものかと、町を
歩く。
大きく投射して見たいのだが、投げたその地は不毛
のそれではあるまいか、乾期のひび割れた川では
無いのかと脅える。
Yale Townで引っ掛かって来たひとつのオイスターバー
がメキシコの老婆と古いドアと繋がりはするのだが、
私の中では綺麗に同一線上に置かれているのでは
あるのだが、ボルテージ下がる今はその線の上を
他人と言うものが行き来しやがる。
そして、そいつらの顔色や視線が気になって仕方ない
のだが、奴らは相変わらずまだスケキヨのお面を
被ったままである。
私が見つめ立ち止まるその側に奴らも足を止め、
その面を取り、「美しいね。。」と微笑んでほしいと
考えている間は、私のカレンダーはまだ、
8月のままなのだろう。
And a rock feels no pain;
And an island never cries.
ここ最近、私にお怒りの方が多い気がする。
その「怒り」とはどちらかと言えば、「イライラ」
と言う類いのものである様に見受けられる。
いろいろと理由を考えてみる。
幾つか思い当たるが一番のそれは私が、昔程の
エネルギーを放出していないからでは無いだろうか。
しかし、私は昔から他人から「イライラ」されるくらいの
人の本質つまり「余裕」に憧れ続けて来た。
ただ、今の私は精神的にも肉体的にも思考的にも創造的にも
経済的にもその様な「余裕」を持ち合わせていない。
私に「余裕」などと言うものが備わっているのだろうか?
もしあるとしたら、銃口は他に向けておらず、自分自身
に向けねばならぬ事を知っているだけなのだが。。。
もうすこしよく考えて周りとの調和をうまく取りたいと思う。
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