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2007年8月31日 (金)

木造船のお祭り

バンクーバーのグランビルアイランドのハーバーで
毎年開催される「WOODEN BOAT SHOW」へ行く。

北米には今あえて木製の船を愛する人がいて、それを
作る人間がいる。すばらしいこの文化が絶えてしまう事は
ないだろう。

このショウのハイライトが今年もBIGROCK HOMESが
材料を提供し、ビルダーのクリス君とその愉快な仲間達
が作り上げたバイキングシップである事が本当に
うれしかった。

これはより忠実に再現されたこのバイキング船のレプリカ
であるが、スカンジナビアのバッググランドを持つ方、
歴史や古い文化を愛する方、そして多くの木に携わる人々
から絶大な支持を受けている。

「うれしさ」とはそう言う意味のある事に少しでも仲間入り
させてもらえた事である。

進水し6年が経った今、プランクのDファーの飴色は更に
光沢を増し、カービングには潮と垢が詰まり
深い深い味わいを出している。

そして何よりもこの船を核とした人の輪は更に深まりを
増している。

豊かな生活とはこんな「無駄」が持てる事を言う。

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2007年8月30日 (木)

旅をする木

大理石がスペインで切り出されローマに運び込まれる。

大阪城の石垣の石が小豆島より届けられる。

インドより遥々築いた胡椒の陸路ルートがガマにより
海路ルートを可能にされ、イギリスを脅威する。

先人達は世界のより優れた物を探し出し、
海を超え山を登り、立ちはだかる困難を克服し
理想を形にする事を夢見た。

我々が作るこの作品は、
アラスカ国境のクイーンシャーロットより切り出した
原生林をカナダ南部のバンクーバーまで運び出し、
カナダ人とインド人、そして遥々日本より移住して来た
大工や木工職人達が刻む。
そしてその魂の様な作品は太平洋を超え日本に建つ。

いつの日かこの行程に大きなロマンを感じてくれる
若者が我々の足跡を辿ってくれよう。

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2007年8月29日 (水)

今頃FBIが私の個人情報を調べている

20年程前に見たフィルムであまりにも強烈だった
ものがある。

奥崎謙三の「ゆきゆきて神軍」である。
その過激さに夜ごと、うなされた程である。

私はこのブログで政治を語るつもりは無い。
RightでもLeftでも無いし、どこか諦めている感もある。

正体を暴き、裁きたいのは他やその団体ではなく、
私自身である。常に自分自身に刄を向け、監視して
いないと私の様なものは、例えば戦時下のニューギニア
などで何をしでかすか解らないほど弱いのである。

もし思想?の根源がそれ程にエクストリームな状況から
否応無しに絞り出されるものであるのなら、当然極論
となるであろうし、それを受け継ぐものには絶対に伝わらない
ものが存在する。その伝わらないものとは、その男が、
その女が煮詰めた伝えたいと切望した本質であろう。

その集団の成れの果てがことに今の日本の思想?団体の
現状である。そこに本質の欠片すら見ることが出来ない。

思想が防衛を考えた段階でそこに本質は存在しないはずである。

エクストリームな状況に置かれた事の無い私に何が言えよう。。。
何を判断出来よう。。。。

その参考資料として再びこのフィルムの購入を試みたが
海外に出す事に大きく規制が掛かっていた。

これでは、思想はおろか考える事も出来ないでは無いか。。

いいさ、俺は、
木から学ぶ。

2007年8月28日 (火)

試合後のマイクタイソンとモーツァルトが聞けるか

ロバート キャパがイングリット バーグマンと
恋愛関係にあった話は有名であるが、
キャパは戦場の「戦慄の描写」とハリウッドスターと言うこの
水と油をどのように自分の中で混ぜ合わせていたのであろう。

夜ごと夢に訪れる呪いの様なシーンやとある物や人が勝手に
マインドを活用させる空白の狂気の時間。
そして罪と言う罪はすべて清算し、この世に生を受けました
と言う程の美しさを持つバーグマン。

このギャプ、折り合いをいかにして付けていたのであろうか。
人はそれ程に簡単にギアを変えれるのであろうか。

交友があったとされる、ピカソやヘミングウェイは
納得がゆく。
そもそもこの種の人たちの心が戦場の狂気に満ちている
であろうから。

陰が無ければスポットライトに意味は無い。
陰を写し取ろうとした人間はやはり陰に支配されている
はずだ。

そこまで世の不条理を自分自身に着せる事は可能なのであろうか。

キャパ。。。この男、
恐ろしく単純か、
恐ろしくラッキーか、
恐ろしくずるいか、
はたまた 恐ろしく深いのであろう。
もしくはそれらが混在する。

2007年8月25日 (土)

このバーンのごとく老いたし

私が生きている間に日本から「馬屋をログで」
「ボートハウスをティンバーで」と言う依頼が入る
日が来るのであろうか。。。。

日本人が一度、物事を追求し始めた時のエネルギーと
執着は桁が違う。

いづれは起こる。

しかしその時、
啓蒙出来る何かを貯えているだろうか。。。
真実を何処かで疑ってはいないだろうか。。。
光と陰のバランスを保っているだろうか。。。
嫉妬と和解できているだろうか。。
生きているだろうか。。。

その時が訪れようとこれをクリアしていなければ
やはりハッピーでは無い気がする。

ならば、いっその事、そんな時など
訪れてくれるな。

私がこのオールドバーンを訪れた時、なぜかそんな事を
考えていた。Img_1318

2007年8月24日 (金)

ワンショット? ワンショット!

写真家の星野道夫さんは人には2つの
自然が存在すると言った。
日常に触れる自然と自分と関連しない何処か
遠くで繰り広げられる自然。

私にはもうひとつ記憶の中の自然がある。
進行形では無い、その時の描写がそのまま固まった
自然である。その多くはその時の私の心のあり方と
多々リンクしている。
孤独をどう正視して良いのか解らない頼りない自分が
その自然の対象物と偶然、いや運命で出会えた事で
幾ばくかの連帯感を持つのである。

簡単に言うと「俺も寂しいけど、お前も独りか。。」と言う
身勝手な対話である。

私の中ではそれがライフルの引き金を引くと言う延長線上
にあってもちっともおかしく無いのである。

舟を漕いでいてムース(ヘラジカ)が泳いでいるところに
出会した時が何度かある。

落ち着きの無い私は勿論、泳いでいるムースの
背中をパドルでペタペタしたくなる。
そのムースが浅場で足が付いたとき、大暴れしたのである。
ムースが作り出す大波に私の小さなカヌーは、タンカー船の横を
漂う木の葉のごとく飲まれ転覆寸前であった。

後日またしても泳ぐムースを発見し、パドルペタペタを試みる。
無論、経験から学び、今度は川の深場で。
しかし、何故か進行方向をカヌーに向けられ、川と言う事もあり
不覚にも右往左往する。すこし離れたところで上陸と考えたが、
興奮しすぎたのか小さなヘマにて浅場で横転沈没。

今思い出してもそのときの感動と不安が蘇り、心臓が高鳴る。
その感動を伝える人間もいなければ、手段も持たなかった当時の
私自身を今、私は自分の息子を見るかの様に 見つめる。

今、私は娘に「野生動物にむやみに近づいてはいけません」と
教えるだろうが、経験も私の過去の描写も与えてやらないので
あれば、それは何と響かない薄っぺらい言葉であろうか。。。

子供達がどうやってそれをリアルかリアルで無いか判断出来ると
言うのだ。

「時間が無い」。。。
我々の親たちが使ったその古びた褪せた言い訳はもう無しに
しようではないか。
そこにかっこ良さとか美学とか優越とか悲壮さとか同情とかは、
ちっとも存在しない。


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2007年8月23日 (木)

ドアにカービング

只今、お作りさせて頂いているハンドの物件の
玄関ドアにお施主様のお名前を彫らせて頂く。

美しいダグラスファーのドアであるが使われている
材の目が細かくて誠に彫り易い。

小さな彫り物ではあるが、やはり想像しながら彫っている。

ご家族に日々使われる姿。

時々、再塗装などして頂いている姿。

そして節目、節目に行なわれる見送りと迎え。

このご家族にたくさんの幸せがある事を願い彫らせて頂く。

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2007年8月22日 (水)

ああ天よ、雨を降らせてもかまわない

カナダ西海岸に、Arbutusアビュータス と呼ばれる
広葉樹が生息する。

私はこの木が大好きだ。材料として使用した事が
無いので、木工と言う意味では解らないがその也と
立ち姿を愛する。

この木は不思議な事にその表皮を自ら落とし、美しい
その素肌をあからさまに裸出してしまうのだ。
他の木々が厳しい冬の寒さや夏の強い日差しと言う
無慈悲の自然条件よりその身を守るため厚皮と言う
鎧を重ねて行く中、ひとり森の中その峻烈な罰を
受け止めるかの様に、衣服を脱ぐ。
そして岩場や塩分の多い土地をあえて好む。

私の悪行がエスカレートし天罰下り、すべてを失い、
やがて悟りを求める時、座禅三昧の日々を送るその
菩提樹はこのアビュータスとなるであろう。

そうだ。。。
その時の為にこの木の根元に金の延べ棒を3本ほど
埋めておこう。

腹が減っては座禅もキツかろ。。。

ツリーハウスも必要か。。。

忙しくなるな。。。

嫌だな。。。

寝座禅?。。。。。ん。。!!

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2007年8月21日 (火)

サタディナイト バス

ペリーもグラバーも日本人が清潔である事、そして
子供を大切にする事に大変感銘を受けたらしい。

事実、150年前に世界の国々で週に何度も風呂に入って
いた民族はないのでないだろうか。

新大陸の開拓地に置いて土曜の夜はバスタイムとなる。
日曜日はチャーチの日であるから、身なりを清潔にし
サンデイドレスを着て安息日を祝う為である。

土曜の夕方ご婦人たちは、多忙を極める。
家族分のお湯を沸かし、ポーチに置いたブリキのバスタブ
を満たしてゆく。

シンプルだがメリハリのある生活であったであろう。

私も若かりし頃、あまり風呂に入らない生活をしていた。
よく金曜日の夕方、ビルダー達と石けんを持ち
湖に出掛けた。4〜5人の男達が洗い終わったその
ベイを丘の上から眺めると明らかに濁っているを見て
我々は笑い、ビールを飲んだ。

シンプルだがメリハリのある良い生活であった。
足りないものもあったが、いまはもう持っていない
有り余るものがそこにはあった。

所詮、私が満たす事の出来るバスタブの大きさなど
変わりはしなかったのだ。

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2007年8月18日 (土)

塩を舐めたシーダー

シーダーと言う木に今更ながら驚かされる。
この木は直径元400mm程の今すぐにログ&ティンバー
ハウスに使用出来る径のものだがその木口をみて
唖然とした。

500歳を超えていたのである。

しかも里に育ち2次林、3次林達と混生している。
この地が海岸線にあり、吸い上げる水分に多くの塩分が
含まれている事も影響しているのだが、他に倒れた
Dファーや栂を調べてみても同径では100歳が最高であった。

カナダだと100歳200歳の木々達はまだ若い木と言う
話になるのだが、さすがに500歳以上のものを簡単に
切ってはいけない。

1000歳くらいの木になると、お神酒を出し餅をふるまい、
生娘を生け贄に差し出さねばいけない。

500歳くらいだと古女房でも我慢するらしい。

シーダーがそう言ってた!

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2007年8月17日 (金)

Days of roses

グーグルアースでアイスランドの火山帯を
見てみる。
と言うのは嘘で散歩中に見つけた流木である。
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ダグラスファーの瘤なのだろうが長い流浪の末、
なぜかその流離に終止符を打ち、この地の土になる事に
身を委ねる。

その形相がこれである。

私がもしこの流木を旅する微生物であるのなら、
あまりの荒涼殺伐にその幽遠の中ひとり絶望し、
昔はたくさんいたお友達の顔や暖かい暖炉など
を擦ったマッチの小さな炎の中に見いだすに違いない。

そして最後の一本のマッチに見る夢は
こんなところを旅していた若かりし頃の瑞々しい
バラの日々であろう。

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2007年8月11日 (土)

すばらしき方

参會堂様 のN様邸が始まっている。
また今回も我々の持てるすべてを出し尽くし
てみたい。

志高き方とは存在するのである。
代表の海老原氏は先日もお話の中、「参會堂の
いちばん強きところを更に飛躍させて行く」つまり
中途半端はいっさいやらないと、その心中を語れた。

時代に流されない、孤高に信じたものを突き進む
男がその男の「当たり前」を語る時、シンプルで
しかるべきその言葉の塊は、私のだれた腑にお灸を
据える。

私はこの人とその哲学の為に私自身をこの作品に
織り込む覚悟である。

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大工らよ、屋根の梁を高く上げよ

60年代、70年代までバンモリスンは自分の
職業を大工と言っている。事実、彼は音楽活動を
続けながらもアイルランドでいち大工職人として
働いていた。

エリック ホッファー。。。。
この人物をどう理解しよう。。。。。
生涯下働きの季節労働者、港ワーカーとして働き
多読を極め、哲学や社会学の本質を蒸留した。

物事の二面性を正視するには、その陰の部分に下りて行き、
そこに潜む極論を持ってして、本質を浮き彫りにさせようとする、
気の遠くなる様な行程を取らなくては見えて来ない事を
この二人はその作品の節々で啓示してみせる。

田辺聖子は「読書で得た知識は知っていない事と同じ」と
身悶えする様な言葉を投げ放ったが、知識が仮定と言う
複合液を煮詰めた切った後の結晶であるとしたら、この言葉
は正論であろう。

私は考えるのだが、それを表示しようとする対象物や人物
が少ない程、極端に言えば一人の人間を対象に作られた
ものにこそ、そこに真実や真理が存在するのでは無いだろうか。


メディアなどが動かせない人物がいる。
なんぼ積んでも売らない奴がいる。
それはなぜか。。。。。
それがそいつの対象物で無いからである。

そう言うものを作りたい。
そう言う男になりたい。

2007年8月 9日 (木)

フリーダと駆落ちする

行きつけの家具屋でお菓子と飲み物を頂きながら
長々と話をする。

話題はフリーダ カーロからスパニッシュタイルと
メキシカンタイルそしてテラコッタの見分け方まで
行き、楽しい時間を過ごす。

そしてそんな時間の中、私の目は意識の幾らかの部分
は、そこに置いてある作品の小さなデザインや色を
とらえている。

いつも何かから影響を受けてやろう、何かを解読して
やろうと貪欲なスケベ心が地下水の様に流れている
のである。

昔はその地下水に足もとごとすくわれ、流される事も
多々あったのであるが、いつの間にかダムを造り、
バルブなども取り付けた。

しかし、溢れ出す洪水の様なパッションとエモーションよ。。
時々、私をさらって逃げて頂戴!
そして流れ着いた寒村の港で小さな飲み屋でもやりながら
あなたとひっそりと暮らす。。。。
それも良いな。。。

話は家具屋であった!
素晴らしい銅製の洗面シンクがあったので紹介する。

御問い合わせあれ。
あなたのこころの寒村の手洗いにそっと置いて下さい。

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2007年8月 8日 (水)

節を愛する

節とは木に携わる職業の者にとって厄介な代物である。

堅く、法則が無く、刃当たりも悪く、その加工に兎角、
時間と労力を要する。

しかし、節は美しい。
その形状と模様のパターンの多様さは無限大である。
見ていて飽きない。

杢目の色やパターンを人はプリントで写したり、
プラスティクで真似てみたり、その手触りや質感まで
新鋭の素材で再現する。そしてそれは息を飲むまでの
完成度を持つものが存在する事を知っている。

しかしこの節、その形状を残す形で使用される節に
人間の創造物は到達する事は出来ない。

そしてその必要性を感じなくても良い。求めれば、
そこには貼付けや「何々ふう」ではない無垢の世界が
待っている。

日常の生活で自然や森を感じる事が出来るのであれば。。
我々が切望したその穏やかな生活と無言の高揚とは
そのままの形と美しさを残したこんな小さな節くれひとつ
からの話では無いのか。

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2007年8月 7日 (火)

狼たちの真夜中

丸山直樹氏の「ニホンオオカミについて」を読む。

絶滅したニホンオオカミの復活運動を続ける
「日本オオカミ協会」となるものがあるらしい。
勿論、日本の森林の生態系のバランスの崩れは
プレデター(肉食獣)の激減に根を発する事への
処置法としての活動である。
東京農大教授の丸山氏は中国からオオカミを
移植させてでも日本にプレデターを増やさない
と日本の森は救えないと唱えている。

続けて神崎伸夫氏の「オオカミはイノシシを救う」
を読む。
江戸時代まで東北や北陸にたくさん生息していた
イノシシが絶滅したのは、オオカミの絶滅に関係
していると解く、実に読み応えのあるリポートであった。

雪深い土地にうまく対応していない雑食性のイノシシは
プレデターの食べ残しで厳しい冬を凌いでいたと考えている。
また、豚コレラなど流行病の際、プレデターによる適度な
間引きが病の流行を押さえたとある。

昨夜もまた、私のファームの周りで何十頭と言うコヨーテが
切なく遠吠えを上げた。30分も続くその歌はあたかも
アニミズムのシンボルのごとく、人間の作り出した一神教の
即席や軽卒を哀れむ。

そして発情したコヨーテのメスは里に降り、飼い犬の雄を森に誘う。
誘われた雄犬はコヨーテのパックに喰われてしまう。

それは、魂を売りさばいた犬どもがかつての「自身の自由」に
差し出す儀式にも似た生け贄、いやかろうじて繋がった
己自身との接点であるかの様である。

室内犬や繋がれるままの犬たちは、もうこの接点すら持てないで
いる。それが幸か不幸かは、哲学の問題である。

手塩に掛けた子供が成長した時、親のオオカミは一途に
冷たくナワバリから蹴り出してしまう。
ここにこの哲学の尺度が隠されている気がする。

2007年8月 6日 (月)

月曜日は休ませて頂きます

カナダは8月6日月曜日(日本時間火曜日)は
シビックホリデー(祭日)となり、お休みとなります。

業者の皆様、関連の皆様、
ご迷惑御掛けいたします。

ウエイビーサイディング

昨日、夢丸さん の記事の写真を探すため、
内陸にドライブに行った。

そこで面白い建物に出会う。
すべてのサイディングをウエイビーサイディング
で仕上げたものであるが、とてもいい感じである。

ウエイビーエッジサディング。。。。
このサイディングも誠にカルトな一品と言える。
もともとはこうだ。
シーダーの丸太を挽き割りもしくは製材し平板を
作った際に両側にノタつまり自然の形状を残した
耳が残る。それをそのまま家に打ち付けたのである。

通常の材ではこのエッジ部はシラタであるからして、
腐り安く弱いのであるが、そこがシーダーである。
雨をはじいてしまうのだ。

その昔、製材の一工程を省いた粗雑な板材も
こうしてラスティクが見直されリバイバルが起こり
それを愛する人達が重宝する。素晴らしいプロセス
では無いか。

この建物を理解する鍵はバイエルンにある。
チロルの山岳地帯のヒュテをイメージしたこの
デザインと本来ならあり得ないウエイビーとの
マッチングが醸し出すアトモスフェアは
新しい完結を作り出している。

そして忘れてならないのは、シーダーシェイクの
屋根やこのサイディングにエイジング(年月の経過)
と言うもっとも大切なエッセンスが加わっている事を。。

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2007年8月 4日 (土)

板張りのログキャビン

パイオニア達の「仮住まい」としてスタートした
ログキャビンである事は以前に書いた。

彼らは板張りの家を夢見て、開拓に汗を流した
のであるが、中には予定どおりには行かず
しょうがなくログキャビンの周りを板で覆った輩も多く
いたようである。

田舎の辺境で出会う崩れかけた板張りのオールドキャビン
の内側にログの壁が覗いている姿を何度も目にした
事がある。

厳しい冬の為、気密性を上げたと言う事もあるのだろうが、
中流階級を夢見た彼らの「やぶれかぶれ」でもあったのだろう。

今は大統領の演説のイメージキャラクターにもなり、
化粧品やメープルシロップのラベルに登場するログキャビン
ではあるが、パイオニア達にはやはり「仮住まい」と言う
仮の姿であったようだ。

リバイバルが起こり、キャビンがハウスになり、大型のリゾートや
ホテルがログで建てられるまでには、まだまだ長い時間と改良、
そして人々の意識の移り変わりを待たなければならないのである。

本当にそのものを愛するには、一度根本的にそれを憎んで
しまうと言うプロセスを取らなければならないのであろう。


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2007年8月 3日 (金)

ジェシー ジェイムス

風のアウトロー ジェシージェイムスはすこぶる紳士であった
そうだ。食事の際は正装、身だしなみにも気を使い、
言葉使いも誠に思慮深い男であったと言う。
そして家族は彼がギャングである事を知らなかったとも
ある。
ギャング業を「ビジネス」と呼び、テーブルでは「ビジネス」の
話は御法度であったと言う。
最後は壁に掛けた一枚の写真が真っすぐで無い事が気に喰わず
直しているところを賞金稼ぎに後ろから撃たれている。

これだ。
男が求める「男」の姿とはこれだ。
職業が「牧師」ではダメだ。悪人紳士で無くてはいけない。
静寂は暴力の上澄み液であり、暴力は静寂の存在理由である。

そして女はこの男の眼が不眠の充血でくすむ頃、
殴られるのか髪をなでられるのか定かでないスリルの中、
女自身でこの男に安らぎを与えたいと切望する。

これだ、チャールズ インガルスは少し退屈だったから、
今日からジェシー ジェイムスで行こう。。。

決めた。

2007年8月 2日 (木)

ネバー クライ ウルフ

カナディアンロッキーを旅するとエルクと呼ばれる
大鹿をあちらこちらで見かける。

昨晩、エルクを撃っている夢を見た。
それを友人の長谷川氏とその息子 達人くんに誇らしげ
にご馳走しているのである。そしてなぜか、中学の時の
女教師に「大岩君は野性的で凄いね!頼りになるね!」と
言わせている、まことにゲスな夢であったが、私の醜い
人と也があからさまに出ているところが面白い。

1990年 アラスカを覗くアメリカで最後の狼と言われた
2頭が射殺される。しかしもうその頃にはエルクの異常発生
による生態系のバランスの崩れはピークに達していた。

そして1995年から96年に掛けてイエローストーン
国立公園にカナダより再び狼31頭が放たれる。
いまその狼は180頭に増え、近辺の家畜を襲う。

予測出来た事なのだろう。しかしそれ程にエルクに筆頭する
草食獣が増えた事の被害や問題が深刻だったのであろう。

ヨーロッパに狼と話をする男が居る。狼と暮らす事でその
方法を習得し、幾つも声を聞き分け、彼らに意志を伝える
事が出来ると言う。

この男はイエローストーンに招待され、被害の多い牧場に
スピーカーを設置し、ある種の「縄張りコール」を流す事で
テリトリーのボーダーラインを引くと言う試みを行なっている。

映画「ネバー クライ ウルフ」は良い映画だった。
北極圏のカリブーの減少と狼は関係がない事を描いたドキュメント
タッチの映画であるが、北の狼の主食がネズミである事に私は衝撃を
受けた。

先日、北海道で異常にエゾシカが増えているレポートを読んだ。

難しい問題である。

しかしもっと厄介なのは私の心の中で増殖し続ける獣たちである。
これが最後の2頭などになる日は、
いやはや。。。

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