祖国
ミィヤンマーで一人のジャーナリストが射殺された。
この人物の詳しい事は知らない。
開高が戦争が激化するベトナムへ赴いた事に
思想家 吉本隆明は激怒する。
戦争と言うものをわざわざ体験しに行くとは何事か!
と言うことであるが、この怒りは実は根が深く
開高が60年に中国へ日本文学交流大使として行き、
毛沢東などと笑顔で握手しているあたりから始まっている
のでは無いだろうか。
吉本には、その行為は思想ある行動からはほど遠いものであった
のだろう。
開高はなぜベトナムに行ったのであろうか。
あらゆる可能性を入れ煮詰めてしまうと、
開高は祖国を探しにベトナムに行ったのでは無いだろうか
とぼんやり考え始めた。
うまく説明出来ない。
私は先日18年ぶりに故郷を歩いた。
変わり果て断片的にしか故郷であると言う実感を
味わう事が出来なかった。
とてつもない空虚感に襲われ、なぜか平和の極みにある
日本がそしてカナダが嫌になったのだ。
そしてどうしてか、極端な環境にこの身を置かなければ
この呪文から逃れる事が出来ない。。そんな恐怖に
支配されたのである。
ばかばかしい話ではあるが、痛感により過去の自分や
自分を取り巻く環境を肯定したいと願ってしまったのだ。
つまり平和ボケの極みがおのれそのものである事に気付き
身悶えたのだ。命からがら祖国に生き帰り、その安堵
を噛み締めることでしか、自分で美化し、勝手に作り
出した架空のセピア色の祖国に会えない気がしたのだ。
身近な人たちを愛する事から始めれば起こりもしない
馬鹿げた感傷である。
馬鹿はいつまで経っても馬鹿のままである。

















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