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グリーンライフさんのN様邸のポーチデザインピースを
仕上げる。
2つのSCORPIONSは俺の手を離れ、他の線や面と調和し
トリオのワルツの中に溶けてしまう。
家と言うオーケストラに入った時、その調べを合わすのか、
はたまた独奏し始めるのかは。。。
蠍よ勝手にしやがれ。
欧米の人種差別について考えてみる。
20年ほど前、若き私が最初にこの問題を正視したのが、
下劣なテレビのデート番組を見た時である。
見知らぬ男女が数人集まり、その中でカップルを誕生
させると言う番組が幾つもあった。
奇妙な事に毎回、白人の時、黒人の時と分かれている
のである。当時、基本的に東洋人はこの様な番組に
出てはいなかった。
今も尚、この様な番組は幾つも存在する。
いくらかその枠組みは解放されたかの様に見えても
そこには暗黙のルールが隠れているようでもある。
東洋人の女性は市民権を得たかの様に見える。
デート番組でも何故か白人に混ぜてもらっている。
コマーシャルでも白人男と東洋人女のカップルと言う
のを見る。しかし、黒人もしくは東洋人男と白人女
と言う組み合わせは今だ、メディアではタブーと
なっている。
これは果たして何であろうか。。。。
これは大衆の「COMFORTABLE/心地よさ」に依存して
いる訳である。この段階ではまだ、白人男性が黒人男性に
感じる肉体的、動物的、本能的コンプレックス、所有権
の侵害、侵害するのは俺たちであり、有色からでは無い。。
までは話は行っていない。
「混ぜるとなんだかしっくり来ない。。」とか「混ぜると
なんかモジモジしてしまう。。」とかそんな次元である。
そして大衆はその感情が何処から来るのかまで、煮詰めたり
しない。
しかし、現代人の人種差別の本質とはこれである。
寒い冬の夜、CITYのマンホールから沸き上がる煙の様に
しばし漂い消えて行く、そんなものである。
しかし、それは確実に存在する。摑めないだけである。
エクストリームな状況、極度な緊張の際に浮き彫りにされる。
事に大義名分を得た際に残虐性を露とする。
人種偏見を持たぬ者はいない。シュバイツアーの実験により
情報を与えられない状態下の子供でさえ、それを持ち合わせ
ている。そして何処からが「悪」なのかと言う定義を
持たない。この問題のの解決?はこの観点からの
ブレイクダウンでは無い。「個の尊重」からのそれでしか、
突破口は無いはずである。本能的に主力集団は異分子を
抹殺しようとする。そこでこの「個」の認識がそれにブレーキ
を掛けなければならない。「個」と言うテーマはすべての
答えなのである。と言う事は「個」の意識の高い欧米は
日本より遥かに救いが存在すると言う事になる。
単一民族と言う馬鹿げた言葉を信じる日本は、上記に記した
次元にまでも行っていない事になる。そして、それは
これから日本があからさまに直面する恐ろしい問題となる。
しかし加害、被害の両側に無意識が存在する。
若く無邪気な当時の私は、そのデート番組の「異常」を
職場のランチで議題として投げかけた。
そこには明らかな「UNCOMFORTABLE/心地悪さ」と言う
煙が漂った。これ以上、詰めてはならないタブーなのかと
考えた時、当時の私の親友で日系3世の若者ベリーが
天真爛漫に言い放った。
「そう言えばそうだな。。。白人の日と黒人の日があるな。。
気が付かなかったよ!」。。。。。
「お前が良いんだったら、それで良いんだよ、俺は!」
心の中でそう呟いた。
私も風に揺れる木に吠えている犬だったのだ。
テロ対策。
我々、市民はこれからもこの名目で多くの支払いを続けて
行くのであろう。
市民が支払う最大の事件がバンクーバー空港で起きた。
カナダに住む母を訪ねてポーランドより来た男が
空港で6時間拘束され、最終的に警察によりスタンガンで
撃たれ死んだ。
始めての海外で英語を話せず、飛行機に乗ったのも始めて
であった。西側の移民局がどれほど意地が悪いかなど
知る由もないこの男は、一人の人間としてその取り扱いの
不条理に抗議したのではあるまいか。
海外の役人の態度を日本の役人の態度と比べ、すこぶる
良いと書き下ろした文書に時々出会う。どうしてこの様な
考えに至るのか私には不思議で仕方ないのだが、その人間
の思考回路やポイントが日本の役人を叩くと言う偏見にある
事は確かであろう。
海外の移民局をはじめとする役人は底意地が悪い。
ことに有色人種の役人や移民2世、3世の役人は救いが無い。
コンプレックスを持つ者がその対象、特に立場を逆転させた
対象を見つけた際に起こる残虐性は留まるところを知らない。
社会的地位が低かった親からの反動であろうか、
言葉や文化を解さない親が恐ろしく滑稽に写った為であろうか、
それとも何処へ行っても親のナショナリティーを背負わされた
不満であろうか、彼らは何処かで同種をヘイトしている。
すべてがそうであると言っているのでは無い。移民局の取り調べを
続けられる一部の人間を言っているのだ。この種の仕事は正常な
人間が続けられる職種ではない。
バッジと正義?が極度なコンプレックスを持つ人間に与えられた
のなら。。。。
逆説的に言うとひどいコンプレックスを持った人間しか、この様な
ものを欲しいと願わないはずである。
しかし、我々はなぜ意見や考え方の違う者に異議、抗議申し立て
ようとするのであろうか?怒りを感じる程に違う人間との和解など
あり得ないと言って良い。威圧的な家庭、暴力や偏見に満ちた
配偶者や組織、無理難題を押し付ける取引先などからは、
すみやかに立ち去る。。これしか無いはずだが。。
個が別の個を根本的に変えるパワーや影響力など持ち合わせる
はずも無い。無駄な努力である。
それが機能するのはその茶番で飯が食える輩だけである。
その意味でこのポーランド男も間違っている。
風で揺れる木に吠えた犬である。
この先も「テロ対策」はエスカレートし、アメリカは一度占領した
土地から軍を引き上げるつもりはない。
Romaneの「Gypsy guitar masters」を繰り返し聞いている。
ジャンゴ ラインハルトの曲を多くカバーしている。
しかし、音楽とは何なのか。。。
12歳よりギターを始め、もう何十年もプレーしてきたし、
あらゆるジャンルを聞いて来たが、
少しも理解出来ない。
そう、結局のところ理解出来てないのである。
どれくらい理解出来ていないかと言うとそれが良いか悪いかも
判断出来ないものがまだまだ有りすぎる。
建築やデザインでははっきりと自分か自分でないか瞬時に
解る。
文章はそれが粗文か秀作か2ページも読めば解る。
これほど時間と金を掛けたにも関わらず
音楽は結局判断すら出来ないのである。
そんな事ってあるのか?
即席ではないぞ!
まじめに聞いて来たし、音楽が無いと生きて行けない。
それなのに理解出来ないなんて。。。
今日もアマゾンからLILA DOWNSのCDが3枚届いていた
が、このくらい解り易いものにしておいた方が良いのか。。
人が良いと言うから、きっと良いのだろう。。。
何だかいい感じ。。。
その程度か。。。。
誠に寂しい事実ではないか。。。
青年期、誰にでも金が無く食うに困った時期は
あるだろう。
それを苦と考えるかどうかは個人の問題だが、
その貧困を肯定する何かや、夢があればそれは
さほど苦しいはずも無い。
20代の前半、カナダにひとり移住して数年は全く
食えないでいた。給料日の前は確実に赤字を出した。
その当時、私の勤めていた会社はアルバーター州の
オイルマンの金持ちの別荘を何棟も建てた。
彼らは美しいBC州の湖畔に余暇を求めるのである。
美しさとの引き換えにその土地はどれも僻地であった。
交通費を出せない私はその土地にキャンプして作業を
続けた。
ある日、現場を訪れて来たオーナーの奥様は私の昼食を
見て泣いた。給料日までの2〜3日間金が無いので
いい加減に食パンと水ですませていたのである。
そして外国人の青年をこの様に扱う会社
とは契約を打ち切ると私のボスに抗議した。
その時の状況を私は楽だとは思っていなかったが、
それほど苦しいとも考えていなかった。
私はその時、「金が有る」と言う事を理解した気がした。
それは明らかに対象である事に気が付いた。
その時、このご婦人の正反対に居たのが若い私であったのだ。
若い私を置き換える具体的な人物は誰なのか知る由もない。
若く独り移民した彼女の父なのか、外国に住む自分の息子
なのか、はたまた苦労して今の地位を勝ち取った自分自身や
夫なのか。。。。
この富は虚栄では無いのか。。
富の犠牲への支払いやツケが廻って来るのでは無いのか。。
その恐怖は救済や援助と言うかたちで私に来たのか。。
と考えたのである。
その時の私はなぜかそのご婦人のリアクションを見て
「神を恐れているのだな。。」と考えたていた。
今、私がその様な青年に出会う事があれば私も確実に涙する。
その青年は私の想像の中で英語を解さず社会から忘れ去られ、
ひとりの難民となり苦汁を舐め、寂しく死ぬ。
今あのご婦人にお会い出来たのなら、私の様な者に涙を流して
くれた事にお礼を言いたい。
おかしな話だが、今の私の方が当時の私よりも当時の状況を
厳しいと感じていると言う事になる。
つまり、食うに困る程の貧困はまっぴらゴメンなのである。
経験は想像を豊かにするが、その代償を持っている。
所有とは対象と言うリフレクションに過ぎない。
人は歳を重ねる程に強くはならない。
今の人生の段階では、私はそれは愚かだと考えてしまう。

同じ町に住む私の知り合いがこの様なシーダー製
のグリーンハウスを作り、カナダ国内そしてアメリカ
でヒットさせている。
素敵なコンセプトでは無いか。。
日本の皆様にも是非、お届けしたい。
興味をお持ちの方は、シーダーのエキスパート
グリーンライフさんにお問い合わせ
頂きたい。
名古屋の老舗夢木香様のショウルームが新しく
なった事は以前にお知らせした。
この中にBIGROCKが作らせて頂いたティンバーフレームの
セクションがある。
今日、現在のお写真を頂いた。
流石の夢木香さんである。雰囲気は抜群!
この他にマシンカットセクション、展示セクションなど盛りだくさん
である。
冷やかしだけでも訪れる価値があると思う。
12月に日本で上棟する参會堂さんのティンバーフレーム。
誠に楽しみである。
BIGROCKは特にデザインに置いて独自の道を
歩んで来た。
*万人に愛されるものを作って来なかった。
*多くと交わる事で起こる中和を恐れて来た。
*「中世」と言う揺るぎないテーマがあった。
*ひとつでもBIGROCKのテイストが入らなければ、我々が
携わる意味が無いと考えて来た。
これはこれからも続く我々の究極の「サービス」の形である。
今、この作品のすべてをお見せする事は出来ないが、
参會堂社とのコラボでまた新たなる切り口を開きたい。
「エンプレスホテル」に泊まる。
その内装である。
この様なものを見るとき私の頭の中ではいつも
ワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
が鳴り響いている。
集合体として、
何という栄華であろう。
何と言う奪い合いの歴史であろう。
何と言う力の誇張であろう。
ディテールとしてそしてデザインとして、
何と言う思想の集結であろう。
何と言う日常の積み重ねであろう。
何と言う貧困のうめきであろう。
この両者の、
何と言う「夢」であろう。
ワグナーのこの曲に至っては
この後者は登場してこない。
そして時として、それは最高に心地良い訳である。
栄華とは反動の証であるのならば、
両者は同じと言うことになる。
そう、裁く事なかれ。
ただ、明かりのあるうちに生を楽しめ。。。
となる。
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