1840年代後半、アイルランドそしてイングランド
を「ジャガイモ飢饉」が襲う。1850年代にも
大飢饉が彼らを苦しめる。
飢えと寒さに苦しむ人々は国を捨て、世界に離散して行く。
新天地としてのアメリカはまさに「約束の地」で
あったのだろう。
アパラチア山脈にある古いログキャビンやティンバーハウス
の資料を調べていると、面白い疑問が沸いて来た。
なるほどこの時期に移住し、建てられたログキャビンが
多く今も残っている。
しかし、妙なのだ。工法がハチャメチャなのだ。
多くはスコットランド系もしくはアイルランド人によって
建てられたものであるのだが、不思議である。
この両国にログキャビンの歴史は無い。
石積みの家もしくは漆喰である。新天地に入り急いで
キャビンを建てなければいけないフロンティアがどうして
得意な工法を選ばず、未知なものに挑戦したのであろうか。。
これが人間が人間であると言う事では無いだろうか。。
そこに少しでも「希望」が存在すると「遊び心」が
生まれる。このログキャビンと言う工法が
製材と言うプロセスを取らない分、理にかなっていた
事は解る。それにしては、必要以上に手間を掛け、
見よう見真似であるが「冒険」している。
写真のキャビンは栗の木を挽き割り、アックスで
ハンドヒューンした平板を縦に積み上げ、その隙間
をチンキングしなくて良い様に内側からまた板を
貼付けている。そしてあろう事か、挽き割った反対側
つまり対になる平板をそのまま、内側に貼付け内と外
のバランスを取ったと言うのだ。
必要の無い手間である。つまり「遊び心」である。
この見よう見真似の「ハチャメチャ」はやがて
アラバマ、ルイジアナの黒人プランテーションの
バラックに飛び火し、その後、バーンや動物小屋と
新しい工法の建物として広がって行き、サウスの
ログハウスのファンデーションを築いて行く。
今、アパラチア山脈周辺の地図を見ている。
なるほど。。。南北に走るこの山脈越えは
困難を極めたのであろう。
人や文化の流れは必然として、南に移行したのが
想像出来る。
だからアラバマ、ルイジアナなのだろう。
しかし、何と言うロマンであろうか。。
中部山岳地帯のヨーロッパもしくはスカンジナビア
を訪れたアイルランド人が見て何となく覚えていた
ログキャビン。
新天地でそれを作ってみようと考えたのである。
人に必要なものは、そこにある「材料」と「道具」
そして「希望」だけで良い。
それだけあれば「遊び心」は自ずと付いて来る。
この俺も「金」や「ポジション」と言う妄想を
捨て、「希望」と「遊び心」だけ持って新天地に
行こうじゃないか!
なあ、お前も一緒に来てくれるよな?

最近のコメント