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2008年1月30日 (水)

1月30日

私の住むBC州には南北を貫く大河がある。
ゴールドラッシュで沸いたフレーザー川である。
その最大の難所と呼ばれる「HELLS GATE/地獄の
関門」を超えた上流にこのあばら屋はある。

この羅生門を超えた報酬であるかの様に、当時
この地には交易所があった。

このあばら屋が当時、何であったのか知る由も無い。
ドアなどの配置から人間が使用していた事は解る。
鍛冶小屋などの作業目的でも無い事も解る。

ここで何人もの人達が衣食住し、喜怒哀楽し、交わり、
産まれ、そして死を繰り返しはしたが、このあばら屋は
今も生きているかと考えれば、人の一生とは何とはかなく
短いことか。。。

我々がもがき、喘ぎながら摑もうとするそのゴールドを
仮にでも手に入れる事が出来たとしても、果たしてそれを
使う時間などあるのだろうか。。

だからして、
プロセスを楽しめる行事にしか、意味は無いのでは
無いかと考えている。

ニトログリセリンを運び、そして得る「恐怖の報酬」
を信じる亡者には、大切な「今」と言う時制が
欠けているはずである。

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2008年1月29日 (火)

1月29日

夏に作った「挽き割りフェンス」である。

まだまだ「新しさ」が残っており、爽やか過ぎる。

灰色に変色し、カビが生え一部朽ち果てようもの
ならこちらのものである。

まだ、風景に溶けていない。


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2008年1月28日 (月)

1月28日

私にはおじいさんと呼んで良いくらいの
友がいた。
日系2世のその方との交友は9年程続いた。

何かと私の事を気に掛けて下さり、重機の修理や
高度な溶接技術、経営理念そして人生について
色々と教えて下さった。

山崎努に似た皺深いその渋い顔から漂うアトモスフェア
を、私は愛した。

色々な約束をした。
カナダ産松茸を日本に輸出していた頃に行った日本の
町を二人で訪ねてみよう。
重機の修理会社を経営していたユーコン州境にある
小さな町セントポールジョーンズまで
ドライブに行こう。
また、太平洋戦争中に送られた内陸の僻地
ニューヘーゼルトンの収容所での生活の中、
丸太小屋の様なものを自分たちで作った。
まだあるかも知れないので見に行こう。。

そのほとんどは実現しないでいた。

彼が私を誰と重ねていたのかは知らない。
しかし、彼は私の事をいつも気に掛けて下さっていた。

形見に彼が30年前にご自分で作ったと言うトレーラー
を頂いた。もうスクラップ寸前であったが、溶接し直し
ゲートを付け、ベースを直しペイントした。
オールドデイズの馬車の様なトレーラーに作り替えたかった。
そうか。。。馬がただ、車に変わっただけなんだ。。と
思える、そんなトレーラーに作り替えたかった。

独りこのトレーラーをリビルドし、私は彼にやっと
一人前の男と認めて頂き、対等に仕事をさせて
頂いた気がした。

死後、彼が少年の頃、おやじさんからひどい暴力を
受けていた事を聞いた。
戦後、流れ者となり大陸を横断し、モントリオールまで
流れ着いた事を聞いた。
一度は酒に溺れた男である事を知った。

それで彼の事がもっと好きになった。

次の人生で私は彼と朋友に生まれ、共にきつい力仕事で
汗を流し、軽口を叩き合いたい。

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2008年1月26日 (土)

1月26日

1840年代後半、アイルランドそしてイングランド
を「ジャガイモ飢饉」が襲う。1850年代にも
大飢饉が彼らを苦しめる。
飢えと寒さに苦しむ人々は国を捨て、世界に離散して行く。
新天地としてのアメリカはまさに「約束の地」で
あったのだろう。

アパラチア山脈にある古いログキャビンやティンバーハウス
の資料を調べていると、面白い疑問が沸いて来た。

なるほどこの時期に移住し、建てられたログキャビンが
多く今も残っている。
しかし、妙なのだ。工法がハチャメチャなのだ。
多くはスコットランド系もしくはアイルランド人によって
建てられたものであるのだが、不思議である。
この両国にログキャビンの歴史は無い。
石積みの家もしくは漆喰である。新天地に入り急いで
キャビンを建てなければいけないフロンティアがどうして
得意な工法を選ばず、未知なものに挑戦したのであろうか。。

これが人間が人間であると言う事では無いだろうか。。
そこに少しでも「希望」が存在すると「遊び心」が
生まれる。このログキャビンと言う工法が
製材と言うプロセスを取らない分、理にかなっていた
事は解る。それにしては、必要以上に手間を掛け、
見よう見真似であるが「冒険」している。

写真のキャビンは栗の木を挽き割り、アックスで
ハンドヒューンした平板を縦に積み上げ、その隙間
をチンキングしなくて良い様に内側からまた板を
貼付けている。そしてあろう事か、挽き割った反対側
つまり対になる平板をそのまま、内側に貼付け内と外
のバランスを取ったと言うのだ。
必要の無い手間である。つまり「遊び心」である。

この見よう見真似の「ハチャメチャ」はやがて
アラバマ、ルイジアナの黒人プランテーションの
バラックに飛び火し、その後、バーンや動物小屋と
新しい工法の建物として広がって行き、サウスの
ログハウスのファンデーションを築いて行く。

今、アパラチア山脈周辺の地図を見ている。
なるほど。。。南北に走るこの山脈越えは
困難を極めたのであろう。
人や文化の流れは必然として、南に移行したのが
想像出来る。
だからアラバマ、ルイジアナなのだろう。

しかし、何と言うロマンであろうか。。
中部山岳地帯のヨーロッパもしくはスカンジナビア
を訪れたアイルランド人が見て何となく覚えていた
ログキャビン。
新天地でそれを作ってみようと考えたのである。

人に必要なものは、そこにある「材料」と「道具」
そして「希望」だけで良い。
それだけあれば「遊び心」は自ずと付いて来る。

この俺も「金」や「ポジション」と言う妄想を
捨て、「希望」と「遊び心」だけ持って新天地に
行こうじゃないか!
なあ、お前も一緒に来てくれるよな?


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2008年1月25日 (金)

1月25日

私が10年近く使っているフィルソンの
オーバーオールだが接客した後、更衣室に
戻ってみると、それはそれは固有の物として
存在していた。
脱ぎ捨てられたままの形で佇んでいた。

物がここまで個性や性格を出し始まるには
作り手の魂と使って来たそれ相当な年月
が必要なのだろう。

素直に
「お前何か主張してるな。。。」と思った。

ただ、「洗って!!」だったら、
どうしよう。。。

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2008年1月23日 (水)

1月23日

生きとし生けるもの全てに災難は降り掛かり
病は訪れているのだろう。

こぶや曲がり木を見て不自由だったのかと
感じる様ではまだ人生を知らないのであろう。

こぶや曲がりを見て木とは何と柔軟でフレキシブル
なのかと感じるべきなのかも知れない。

逆らわずにゆっくりとそのかたちに添って
生きて行く。
これを自由と言わず、何を自由と呼ぼう。

悲と取るか、はたまた喜と取るか。。
只それだけなのかも知れない。

だから。。
Keep on the sunny side always on the sunny side
Keep on the sunny side of life
It will help us every day it will brighten all our way
If we keep on the sunny side of life


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2008年1月22日 (火)

1月22日

週末にセルジオ レオーネの「ドル箱三部作」
を観る。
「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」
「続 夕陽のガンマン」である。

本当のウエスタンファンに取ってイタリア人である
セルジオ レオーネが撮ったスパゲティウエスタン
は邪道となるのだろう。

しかし、今こうして観てみると何とも面白い。
話の舞台はサンタフェやアルバカーキそして
エルパソと言うニューメキシコの設定なのであるが、
セルジオは撮影をスペインで行なっている。
そうすると当然、建物が素晴らしい。
この建物を見るだけでもこの映画たちを鑑賞する
価値がある。
音楽は勿論、モリコーネである。

そして多く登場するメキシカンのエクストラには
ジプシー達が使われている。

何日か前に娘が話していた事を思い出した。
「クラスメイトのエリカちゃんはインド人だと思って
いたけど、本当はメキシコ人なんだって。。」

本人たちは全然違う!と言うだろう。

2008年1月21日 (月)

聖フランチェスコのように

J.R.Hartleyの「Fly Fishing」を読み始めたが
あまりに素晴らしいので、もったいなく止めて
しまった。
この種の本を日常と言う環境や状態で読んで
しまうには、かなり追いつめられた何かが
必要である。

長い間企画した釣行の前夜、もしくは水辺の
テントの中で静かにページを開き、その高揚
の前兆を味わいたい。

変わりに日本から買って来た五木寛之氏の
「人間の関係」と言う本を読んだ。
この人の最大の謎と言えた朝鮮半島引き上げの
際に起きた両親の悲劇について語られていた。
五木文学を読み続けた読者ならば、この出来事
は薄々感じ取ってはいたものの、やはりご本人
の活字に現れた時、相当なショックであった。
同時にこの謎が解けない限り、この人の活字を
すべて理解するのは不可能に思えたのだ。

読者は五木寛之と言う人物の行動の遍歴をすこし
理解できたのでは無いだろうか。
なぜロシア文学であったのか、なぜ親鸞や蓮如で
あったのか、なぜこれほどに物事の起こりに疑問を
抱いているか、偶然と必然を問い続けたのか、
人間の弱さと強さのギャプの大きさにこだわり
続けたのか、そして人間にとって本質的な部分で
「生きる目的」は無いと答えを出したのかが
辻褄が合う。

不思議な感覚ではある。この人を読み続けた読者は
知っていたシナリオを渡された様な錯覚に陥るのだが、
このプロセスを経て、この五木寛之と言う作家を
今、最大級に愛してしまうのである。

人はこれほどの悲しみを背負って生きて行けるの
だろうか。。
もっと簡単に言えば、この人はなぜ狂人にもならず、
社会の裏側にも住まず、まだ人を愛し続け
ているのだろうか。。。

2008年1月19日 (土)

1月19日

へルマン ヘッセの「紛失したポケットナイフ」、
「一区画の土地に責任をもつ」を読む。

この孤独と抑圧された鬱はどうだ。
否定された自我を庭仕事と言うあくまで個人的な
レベルの計画、企画、実行、充足そして反省と言う
行動によって治癒しようとしている。

この人も平和を愛するが故、長い間非難と批判に
苦しむ。精神の限界までの苦しみを体験し、その
中で自然や庭仕事に解放を見る。

「その生活は都会の人の想像してる程に荒々しく
ないけれど、温和でもない。精神的でも英雄的でも
ないけれど、失われた故郷のようにあらゆる精神的な
人間と英雄的な人間の心をその本性の核心で引きつける」
とその田園生活を表し、最も素朴で敬虔な人間の生活
と言い張る。そしてそれを信仰と呼んでいる。

小さな土地を持ち、余暇のほとんどをそこに費やす
者にはこのヘッセが言わんとする事は痛い程、
理解出来るはずである。

なぜなら、その様な生活を選んだ段階で何かしらの
解放を夢見た人間なのだから。

2008年1月18日 (金)

Phase one, in which Doris gets her oats.

私は朝食にオートミールをよく食べる。

北米に長い日本人でもこのオートミール
だけは食べれない人が多い中、洋食があまり
好きでは無い私を知っている人はこの話に驚く。

青年期の何年かをひどい貧乏で過ごした。
私の問題はそれを、極度に恥ずかしいと感じた点
であった。その中で私を支えた一冊の本がある。
「CWニコルの自然記」である。

「たっぷりだけど、オートミールだけの朝食を
食べ、コーヒーを何杯か飲んだ後、その一日の活動
を始めるべくスリーピングバッグからはい出した。」

極寒の寒さの中、たくましく生きるニコル青年を書いた
このたった1センテンスが、寒い冬の朝のアカンタレの
ひ弱青年を励まし続けた。

毎朝毎朝、オートミールを啜りながらこの箇所を
読み、ニコル氏の青春に想いを巡らせていた。

社会や所属する組織から必要とされてはいない
と言う死にたくなる様な現実をこの本は
「希望」へと変えてくれた。

今、私はこのからす麦のお粥を食べる時、
この本を必要としない。

この本を読まなくても、オートミールがうまいと
感じる様になったからだ。

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2008年1月17日 (木)

友よ、心に風はあるか

思えば最初から入魂であった。

当時出せる最高の構想とアイデアをグリーンライフの長谷川氏と模索した。

加工やデザインも当時のBIGROCKのベストを出し尽くした。

我々の手を離れ、異国へ移り琥珀のクパージュとなった
その滴であるが、それでいて一滴目のピュアネスを
失なわない。。。
そんな名品になり、その円を閉じ様としていた。

多くの晩品がそうである様に、この家も瞬間に私を
旅へと誘う。

もう少し「復興」にその命を捧げ。。。
つまり、険しい方を行け。。。
と、この晩品は静かに私に語った。

私には誇れる家たちがある。

良い時間であった。

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2008年1月16日 (水)

1月16日

関西航空のインターネットカフェの様な所で
これを書いている。

今回の日本出張は誠に有意義であった。

日本の良い所をたくさん再確認出来た貴重な
旅になった。
皆様、大変お世話になりました。

旅の中で考えていた。。
人生が満たされた一杯の酒であるのなら、
ちびちびと啜ろうが、ぐっと飲み干そうが、
さほど変わりはしない。。。そんな気がした。

東北の路傍でこの老婆を見た特、
それはすこしだけ確信に近づいた。

万人には愛されぬお前のその得意な事だけをやれ!
と思った。

それだから。。
別れの記しに俺の陰、ここに置いて行く。

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2008年1月15日 (火)

SOTO DINING番外編

前回ご紹介した「SOTO DINING」には
それはそれはクールな番外編があります。

オーナーがご自分で建てられたオールドログキャビン。

そのラグでラギッドな感性はログハウスの原点。

ラグタイムな音楽と香り高いコーヒーを味わえる
特別な空間。

すぐに、また訪れたくなるそんな場所なのだ。

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2008年1月14日 (月)

SOTO DINING

今回の参會堂様とのコラボで技術提供を
頂いた鳥取の奇才井上さんこと洛柿舎様
お会いさせて頂き、代表作「SOTO DINING」
を拝見させて頂く。

美しい曲線のデザインと「井上ワールド」と呼べる
内装がそしてオーナーの感性とお道具選びが
作り出すアトモスフェアは斬新の中に
落ち着きを見せる。

レストランでもあるこの「SOTO DINING」。
近畿圏の方は是非、足を運んで頂きたい。
能勢の美しい里山の中にある。


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かたまり

動機が何でも構わない。。。

俺にとっての芸術とは、
抑圧され否定され続けた男が重ね合わせた
孤独の塊からはがれ落ちたひと欠片の表皮に
過ぎない。

「あんたの塊のすべてを見せてくれ」と言う
者が現れた時、その肯定された否定の塊は
地に落ち割れ、男と共に死ぬ。

だから友よ、
奴が声高らかに語る時、俺たちは
なじみ深いあの独房の扉を静かに押そう。


2008年1月13日 (日)

1月13日

参會堂様のティンバーフレームの組み上げに来日している。
そして無事に上棟を迎えた。
すばらしいの一言である。

ここまでのデザインのティンバーフレームは日本には
存在しない。

設計は参會堂様、そしてティンバーのデザイン&加工は
BIGROCK。。。。。。。
最高のコラボレーションが組めたと思う。


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2008年1月 7日 (月)

1月7日

現在、カナダでロギングに携わっている者でも
丸太をこの様に積み上げる手段と方法を持たない。

ロギングトラックもログヤードのラックもすべて
4隅に4本の支柱がある。

この積み方の凄いところは事故無く積み下ろす
事を当然想定してチェーン掛けを行なっている事
である。

どう言った方法で積み上げ、どうやってチェーンを緩め、
このログの山をチェーンも乗せてある橇も痛めずに
荷下ろしするのかしばらくの間考えてみたが、
詳しい答えは出せないでいた。

今、これをきちんと説明出来る杣や土曵きの人たちは
残っているのだろうか。

この写真に写る何食わぬ顔の男達は、自分たちの日常
を切り取った一コマに、太平洋の向こう側から来た
懐古趣味男が、しかも80年後に、ここまで
こだわろうとは思いもしなかったであろう。

もし、知ったとしても「そのへっぴり腰でか?」
と私の貧弱な体と精神を笑い、すぐにはそのからくりを
教えてはくれまい。


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2008年1月 5日 (土)

1月5日

エイズは昔程、話題にならないがその数は
確実に増えているらしい。

正しくかぶせて、使用して頂きたい。


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