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2008年3月30日 (日)

3月30日

このバーンが建てられた1800年代の初頭、
窓いや、ガラスは高価で贅沢品であった。

ヨーロッパの城であれば、この窓から四方八方に
敵目掛け矢を放ったと言う事であろうが、
これはその用途で作られたものでは無い。

この構造は外気や雨風が入り難く、光を効率的に
内部に取り込む先人達の知恵であるのだ。
また、鳥や獣の侵入を防いだのであろう。

室内側はバーンにも関わらず、教会のステンドガラス
から差し込む様なアングルの違った様々な光達が
何故か私を神聖な気持ちにさせてくれた。

同行した若いティンバーフレーマーがすたすたと
梁に上がり仕口などを勉強するのは良いが、
200年分のホコリやゴミが舞い散った為、写真が
取れず、ひどく咳き込んでしまったので、
神聖な気持ちのまま、この青年をねじ伏せた後、
藁の中に埋めて来た。

「気を付けよう、おやじの妬みと若い奴」

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2008年3月29日 (土)

3月29日

バックロードの路傍で、そこから荒野が始まる
境界線でこんな寂しげな遺産に出会う。

何故か1時間も過ごしてしまう。

材の鋸目跡や蝶番など金物、トタン屋根の形状
などからどれくらい古いものか見て回る。
相当に古い。

この男はヤブレカブレである。
子供がいたようだがヤブレカブレである。
途中まで頑張っていたようだが、資金が尽きたか
体を悪くしたか、妻に去られたか、博打で擦ったか、
仕上げの段階でヤブレカブレになっている。

ふと、ここに居たのは俺では無いのかと錯覚する。
ショップの真ん中の梁を支える柱はそのあたりの枝切れ
であるが、これを吊っかえたのは確か。。。
俺では無かったのか。。。
と錯覚する。

最初の希望や志は大きかったが、やがてのたまい、
あがいたあげく、めげ、破れ、かぶれたのは
俺では無かったのか。。。

と錯覚する。。。


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2008年3月26日 (水)

3月26日

ノコ目残すヘリテージガレージに無造作に
突っ込まれてあるオールドダッジピックアップ。

これをカッコいいと感じる俺たちも大したもの。

アメリカに片思いし、追いかけ、裏切られて尚、
未練たらたら。。。

メッキ剥がれたアメリカのこんな素顔の
シーンを見る時、やはり惚れたのは俺かと実感する。

それでも、俺たちは大したものだ。
長い時間と膨大な消費、情報量とプロパガンダ。。。
その中で、この侘び寂びが解る様になってしまった。

恐ろしい時間と金の浪費の中、そろそろ俺たちは
何に価値があったのか、気付き始めた。

もう少しでクリアになる。

その時、俺たちは大きな声で言おうじゃないか。。

アメリカが好きである。。。と。


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2008年3月25日 (火)

3月25日

オールドデイズに漆喰とモルタルをどのようにして
作っていたのかを勉強する講習を受ける。

石灰岩(ライムストーン)を釜で不完全炎症気味に
焼くと生石灰が出来上がる。
その生石灰に水を混ぜ、水和反応させたものが
消石灰つまり漆喰である。

この消石灰に土を混ぜたものがモルタルである。

今回は市販の漆喰粉とまだ石の原型が残る”手作り”
漆喰の行程を比べてみた。
さすがに市販のものは化学反応も早く何よりもその白さ
は鮮やかである。一方”手作り漆喰”は温度の上がりも
遅く色も疎らではあるが、独特の味わいを出していた。

今回、漆喰に混ぜたのは山羊の毛であるが、昔は各種
家畜や獣の毛、人の髪、藁、海藻、馬糞などあらゆる
ものを混ぜたようである。

開拓民達は農作業の出来ぬ冬、このモルタルを幾つも
こしらえ、貯蔵庫に貯えて置く。
そして空気が温む頃、石を積み、壁を補修し、本格的
に忙しくなる春を待ったのであろう。


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2008年3月20日 (木)

3月20日

私の家の前に教会がある。
あまり古いものでは無いが、コミュニティーに
密接したメノナイトの教会である。
(そう言えばこのメノナイトも18世紀ヨーロッパで
迫害を受け新天地を求めたキリスト教一派である)

その教会が今、改装をしている。
この教会の看板を制作したので、今度は内装の依頼など
密かに期待していたのだが、それは起こら無かった。
何か近代的な工法で普通にやるそうである。
残念である。

先日、古い教会を町ぐるみで「そのままの形」で残そう
と活動している団体から話を聞く機会を得た。
やはり問題は「値段」である。古いものを自然の材料で
忠実に再現するには、お金が掛かり過ぎるのだ。

その多くは小さな田舎のコミュニティーである。
その様な資金は無い。この団体はその意義を人々や町、
そしてその行政に納得させ、幾つもの成功を納めている。

素朴な疑問が沸いて来る。100年前、200年前
小さな貧しいコミュニティーはどのようにその資金を
得て、これだけの素晴らしい建物を作っていたのであろうか?

答えは税金であった。民衆は教会の為に税金を払っていたのだ。
ユダヤ人も中国人も他の異教徒達も皆、キリスト教の
教会に支払いしていたのである。キリスト教には細かな
宗派がある。その町の主流宗派の教会に異派のクリスチャン
も支払いをしていた事になる。思想や宗教の自由も
ヘッタクレもない。主流つまり強いものが得る。

国を作る、国を植民地化するとはそう言う事かと
改めて知らされたのだ。

今、当時のヨーロッパの暴君達は誠におとなしい。
世界を植民地化しようとしたり、統治しようとしたりと
は考えていない。

アメリカがそのステージに入いると世界は次、どのように
廻るのであろうか?

私はそれを想像する知識と情報を持ち合わせていない。


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Notsurebuilding
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2008年3月18日 (火)

OLD STONE SCHOOL

旅の途中に石造りの学校を見つける。
いわゆるダブルクリブ形式である。
いつも思うのだが、センターホールの家には
独特の高級感が漂う。
誠に良いたたずまいである。
この家の最大のアクセントは建具の上に
石のスリーパーを掛けず、レンガをキーストーン
として使った事では無いだろうか。
上品な色の配色を出している。
推測だが、このキーストーンは後に入れられた
ものであろう。

建物との出会いとは運命である。早速この建物
と町の歴史を調べる。ほじくり出すとたくさんの
逸話やヒーローが飛び出してきて、数時間があっと
言う間に過ぎてしまう。

1874年にクエーカー教の入植者たちによって
建てられたこの建物は当時、ローカス アカデミー
と呼ばれいたようだ。この一帯にはローカスの木が
群生していたのであろう。

クエーカーもシェイカーも17、18世紀イギリスでは
カルトとして迫害を受ける。
新天地アメリカとはこのカルト集団の聖地であったのだ。

130年以上も前に石灰岩で作られたこの様な学び舎で
学ぶ子供達が随分、羨ましくなってしまった。

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3月18日

WRシーダー平均径500〜600mmの原生林が
入荷しております。

その2/3は木彩工房さんの次のダブテイルハウスにて使用が決定しておりますが、1/3ストックがございます。

品質はこの10年で最高のものです。

また、今イエローシーダー(米ヒバ)も可能です。

冬切りの素晴らしい材料ですので、是非この機会
お見逃し無く。


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2008年3月15日 (土)

3月15日

このラティス(斜め格子)は目から鱗であった。

私の中で、これまでのラティスとは薄っぺらい
シーダーを貧弱なステイプルで留めた情けない、
頂けない代物であった。そう規格品であったのだ。
私は規格品を呪う。

オリジナルを見た。
オールドデイズにはこの様に重圧なラティスが堂々
とその役目を果たしていたのだ。

これを見て真実が見えた。
ラティスはなぜ斜めなのか。。。

それは「短もの」を有効に使う手段であったのだ。
ラティスを必要とする箇所は横長に長細いセクション
で風を通しておきたい湿気の多い場所である。

垂直&水平では水平に「長もの」を要する。
しかし斜めであれば。。。。。

そしてはっきりと建物のアクセントともなる。

うれしい発見であった。


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2008年3月13日 (木)

3月13日

またひとつ終わった。

まずまずの仕上がりである。


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3月のある日

「11月のある日」と「カンシオン カロリーナ」
を同時に練習する。
何かの拍子にロッド スチュワートの「胸につのる想い」のメロディが出て来る。
きっとこの間の出張の時に井上さん
カーステレオでフェイセスを掛けて
おられたからだろう。
勿論、この手の曲は譜面は要らない。

長い時間が蘇る。

しかし、落ち着きの無い話である。
1曲を真面目に続けて練習する事が出来ない。

読書もそうである。一度に3〜4冊を同時に読む。
しかし、流儀はある。似た様なものを同時に読まない。
同じ著者のものを同時に読まない。

「晩年」と「斜陽」が今も一緒くたになっている。
再度、読返して頭を整理しようと先日、この2冊
を購入した。
これで長年のモヤモヤが消えるであろう。

待てよ。。「羊をめぐる。。」と「。。。のピンボール」
もブルーにこんがらがっていたな。。。俺の頭のなかで。
「悪魔の手鞠歌」と「獄門島」も、「野獣死すべし」と
「蘇る金狼」も。。

おやおや、まだまだあるぞ。。。

2008年3月12日 (水)

3月12日

アールヌーヴォー建築の巨匠ヴィクトール・オルタは
一言でアールヌーヴォー芸術の神髄を語っている。

「私が愛するのは植物の花でなく、葉でなく、その
茎である」と。

葉を落とした冬の枯れ枝やツタをその感性で眺める時、
それは何と美しい線の羅列であろうか。

ヨーロッパの繁栄や退廃が、行き詰まったある人間
の精神を「自然」へと向かわせた事について考える。

「自然回避」「自然へ帰れ」とはある種、絶望という
要素を含んだ「諦め」を出発点としている。

であるからして多くの芸術はもの悲しい。

悲しく無い奴は芸術なんか作るな!
と言ってしまって良いものかは、解らない。

ベルギーと言う国で、そんな事を考える機会に恵まれた
なら、どんなに素敵であろう。

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2008年3月11日 (火)

3月11日

単純な線の羅列に見えるが、凡才な私には
何度も何度も書き直した集合線である。

作業は何一つ終わっていないが、
下絵が出来れば仕事は、少なくとも脳の仕事は
80%終わったと言える。

後は手が勝手に動いてくれる。


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2008年3月 8日 (土)

3月8日

捕鯨問題についてであるが、
両者の意見があるので、私はその良し悪し
を判断出来ない。

しかし、海外の報道では私が知る限り
「調査捕鯨船」と言う表現はされていない。
ただ単に「捕鯨船」である。

しかし、この「調査」を全面に押し出してこの行動
の正当化を行なう日本とその「調査」と言う言葉
どころか、そのニュアンスすら伝えられていない
海外では、大きく世論が違ってくるのは当然であろう。

国内ではこれだけ情報能力や機能に優れた国、
日本も海外ではまったくコミュニケート出来ていない。

「国際語」の問題は今、至る所に出て来ている。

そんな事を考えながら読む永井荷風の「フランス物語」
は格別である。読み終えるのが惜しい秀作である。


2008年3月 7日 (金)

3月7日

ロギングトラックには2つのタイプがある。

ひとつはローダーなどの重機で原木を積み降ろし
するタイプ。
もうひとつはセルフローダーと言う特殊クレーン
を搭載したタイプである。

写真はそのセルフローダータイプ。
これは誠に専門職である。つまりプロ。
この様に原木をこのクレーンの様なローダー
で割り箸を動かすかの様に積み降ろしする。

一歩間違えると死に至る危険な作業であるが、
人間とは恐ろしい生き物である。
何にでも慣れ、何をも習得してしまう。

油圧システムとターンテーブルは重機を
革命的に進化させた。
そしてそれに順応して行った人間もおみごと
である。

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2008年3月 5日 (水)

3月5日

週末、GRANSFORS のmortise Axeを買いに
道具屋に行った。

この斧はログ&ティンバービルダー専用である。
強い腰を持つこの斧は大物の材料のホゾ仕上げや
ログの削りに良いとされている。ログビルダーなら
お解りだろうが、ノッチのスクライブ用の腰削りに
良いと聞いていた。

しかし、現物を見て驚いた。
あろう事か、両刃であった。。。。。
この種の多くの仕事は片刃でないと都合が悪い。

格好も良いし、雰囲気も味もある。
しかし、フレーミングチズルやスリックには
勝てないな。。と考え、買わなかった。

道具とは難しいものである。


Knutyxa
85s01xxgs
85s0710s1

2008年3月 4日 (火)

3月4日

1時間ぶっ続けで金床の上で鉄を叩く。

こう言う作業は何ともないと思っていたが、やはり
筋肉の場所が違うようだ。

腕はパンパン、耳はキンキン。
細かいものが持てず、難聴になってしまった。

その後でお店に買い物に行ったが、VISAのサインが
うまく書けず、筆圧の薄いひょろひょろのサインとなり、
お姉さんの言っている事も良く聞こえず、挙動不審と
判断され、身分証明書を呈示させられた。

しかし、
「人間だもの」と書くと高く売れそうである。
いや、「カルト人だもの」であった。
んっ!? ヒネリが無い。。。
じゃあ。。「カルト人とくだもの」ではどう?


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2008年3月 2日 (日)

3月2日

沖縄の少女暴行事件でもの想う。

利害関係や保安関係の政治が絡む国や組織そして
自治体がこの様な問題をはたして本当に解決できる、
もしくは解決したいと考えているのだろうか?

「民衆を味方にせよ!その者が勝つ!」
この場合の民衆とは北米やヨーロッパのご婦人達で
ある。この様な事件を彼女達は許さない。
彼女達を相手にするメディアは放って置かない。

歴史が証明している。
遠くは植民地時代の原住民を本当の意味で解放に
導いたのも、ベトナム兵士の暴虐を非難したのも、
捕鯨問題を世論にしたのも彼女達であり、それを
取り巻くメディアである。

世界的に何の影響力も無く(英語じゃないからですよ!)
報道の本質を失った日本のメディアに頼るより、
石場氏にお願いするより、ブッシュに直訴するより
も。。。
トークショウの王女オフラ ウィンフリーに特集
組んでもらえば、この問題も拉致問題も世界的な
世論問題となり、大きなうねりが起こる。

少なくともオフラは「悲しいふり」をしてくれる。


2008年3月 1日 (土)

3月1日

あれが欲しい、これが欲しい、あんな所でこんな事を
したいなどと、腑抜けた妄想を抱きながら、日常を
暮らしていると一撃は不意にやって来る。

9歳の娘が学校の遠足でインディアンの部落に行き、
シャーマンから聞いた古いストーリーを2、3話して
くれた。

「唯物」でも「唯識」でも無い。
彼らの概念はそれが同化しているのである。
すべての「物」が「識」を持っている。そして「物」
よりも「識」の方が強く、その本質を表している。

逆に言ってしまえば、「識」が纏った形が「物」で
あるかのようだ。例えば、力強い「識」の形は
たまたま我々が視覚で捕らえた「熊」なのである。
しかし、彼らにとってはあのスピリットは力強いので
熊と言う形の「物」を覆ったに過ぎないと言う
考え方では無いだろうか。。。

現代にて、彼らが「とんちんかん」に見えるときが
ある。ランドクレーム(原住民の土地返却要請)、
ハイウェイの延長での抗議、河川の橋建設反対など
の席で彼らが必ず吐く言葉がある。
「なぜスピリットの話をしないのだ。。」

唯物主義の現代人にはシーダーで作られたカヌーが
意志を持ち話し、ワタリガラスが闇の扉を開ける
事がそれらの問題と同一線上にあるとどうしても
理解出来ない。

その溝は沈んだベーリングブリッジよりも深く、
その交点は彼らが到達した南米大陸よりも遠い。

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