バンクーバーの都心から20分の郊外にある
お宅へティンバーフレームの打ち合わせに伺った。
打ち合わせ中、1頭の母グマと2頭の小熊が
この家の周りのタンポポをしきりに食べている。
もう2頭、別のクマも要るらしく、ほぼ毎日出会す
らしい。この母グマが一番テリトリー意識が
強く、先日はデッキで本を読んでいると、目の前で
この母グマが侵入者である別のクマと喧嘩を始めた
と言う。
勿論、この家族は彼らを蹴散らしたり、罠を仕掛けたり
ハンターを呼んだりしない。「愛すべき動物」として
彼らを刺激する事無く、生活している。この場合は
共存していると言うべきであろうか。
先日、あるカナダ人の女性と話をしていて気が付いた
事がある。「同じ日に2頭のグリズリーを見たのよ!」
と興奮して私に話してくれた。そして話の途中に
「帰り道のピクニックエリアでサンドウィチを食べて
いるとクマがその周りをウロウロしてたの」と話した。
グリズリーに対しては頻繁に見る事が出来ない何処か
畏敬を込めた感情を持っている様であるが、黒くマに
関してはどうも「奈良のシカ」扱いしている様である。
つまりクマはクマでグリズリーはクマでなく、グリズリー
なのである。固有である訳だ。
私に取ってはクマはクマであり、どちらを見ても興奮し、
感動してしまう。その日は特別な日となり、何か得を
した気になるのである。
カナダでは毎年、何人かクマに襲われ、時には死亡事故
も出ている。それでもカナダ人はクマをいたずらに恐
れたり、パニックしたりする事は無い。
人間のテリトリーに入れたく無いのなら、貴方自身が
クマが入れない様にフェンスをするなり、ゴミの処理
を徹底するなりして下さいと言う考え方になるのだ。
事故が起こっても、行政や市町村に責任を問うと言う
考え方が無い。
もっと極論を言うと撃ちたい奴は自分で撃ってしまう
のである。おっと。。。これは個人主義を理解出来ない
日本人には、応用問題過ぎたかしら。。
煮詰めれば、殺される自由が存在するところには
殺す自由も存在すると言う考え方である。
「独り」なのである。脳の思考を分解するとその「核」には
「自分」が存在し、その外周にその他のあらゆるものが
取り巻いている。その外周から、「他」と言うものが
入り込んで来たり、出たり入ったりしている。
しかし、その「核」はやはりたった独りの「自分」
だけなのだ。
それが親子の間でも行なわれていると言えば、解り易い
であろうか。
このクマの親子の関係の様に。。。。

